第389号 2011年3月21日 発行

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出張1

  

 

PENTAX Optio E50


出張である。

実習する学生さんの会議で、仙台へ(!!)

越後湯沢、大宮で新幹線を乗り継ぎ、仙台へ向かう。

大宮ではプラットホームに翌日から運行開始の「はやぶさ」の停車マークが。

そして、夜8時くらいに仙台へ到着。
ネオンが煌々と光っている。

そして、駅前のビジネスホテルに。
初めて泊まるチェーン系ホテルであるが、ウェルカムコーヒーというサービスがある。

と、ここまでは、いつもと同じ、出張道中記であった。
そう、大地震前夜である。

(2011年3月10日)

出張2


 

 

PENTAX Optio E50



未来の作業療法士さん達(学生)が描いた、作業療法啓発ポスターである。

すてきなポスターだなと感心し、会議に挑む。

それは、会議も終了間際で、学生さんと面談中に発生した。揺れに揺れた。

そう、東日本大地震である。仙台は震度6強だったらしい・・・。
揺れている間は、学生さんと一緒にテーブルの下に。

その後、駐車場に避難。
駐車場で小雪舞い散る中、学生さんと面談を行い、帰りの電車の時間が迫っていたので、帰路に着くことに。

仙台市内は停電はあったけどたいした感じでなく(百貨店の側壁は崩れていたが) 新幹線2〜3時間止まるかな?くらいの印象。

それから,仙台駅封鎖,新幹線・在来線共にストップが判明、宿を取ろうにもホテルは休業。
ご一緒の会議出席者は小学校の避難所へ。

一人、高速バスに一縷の望みをかけて高速バスターミナルへ。

しかし,「たぶんダメでしょう」みたいな曖昧な回答で、その他の皆さんと待機。 結局運行は無く、バス会社が交渉して設けてくれた市役所8階のホールで避難することに。

画像は、避難所で配られたクラッカーと水。
そして、避難していたホールの様子。
翌日配られた、高菜ご飯。これは温かいものが配られた。
乗れなかったJRの乗車券。

(2011年3月11日)

脱出




PENTAX Optio E50

仙台、脱出劇である。

初日夜から相乗りで山形,岩手などへ脱出する人もいたが、とにかく、情報が無い。

帰宅後、金沢で色々新聞などを見ると、高速バスはもちろん、新幹線、仙台発の飛行機など全く見通しのない 手段で、一晩以上それらに期待していたのが、むなしい。

脱出強行のきっかけは、娘からの何気ないメール。

「早く帰ってこい!!」

このメールで、とにかく仙台を脱出しようと堅く決意。

それと、有益だったのは、職場後輩からのメール。
「当分、車以外の手段無いですね。ゆっくり帰って来てください。」

このメールで、タクシー脱出を固く決意。

しかし、避難所では朝早くから山形方面タクシー相乗りさん達が消えていたので、 「ここに居ても山形方面に行く人はいないだろう」と、駅のタクシー乗り場に移動。
見ず知らずの土地で、避難所を離れるというのは結構勇気がいる。
タクシー乗り場で、前から順番に、「失礼ですがどちらに行かれますか?」 と声を掛けていたら、数人目に、「あれ、あなた山形って行って無かった?」 とあるご婦人が別の方に聞いてくれて、山形行きの若いカップルさんと同乗 することに。聞けば、彼女の実家に彼が初めて訪問するという事。

しばし、話していると、村山市の方。学生時代の、寒河江在住の大友人の話をさせて頂く。

途中トラブルもあったが、県境まで彼女のお父さんが迎えに来てくれ、そこからお父さんに 山形駅まで送ってもらうことに。

お父さんから、「山形からどうするんだ?」と言われ、「鶴岡まで出て新潟にむかう。」と話す。 お父さんはにしたら、かわいい娘。
心配だったらしく(当たり前か)「大人が一緒にいてくれて良かった」と言われ、
「ちょうど自分も鶴岡に行くから」と鶴岡まで送ってくれることに。

途中、村山の実家に寄り、なぜか私まで家に上げられ、お茶を馳走になり、鶴岡に。

「電車動いて無かったら、鶴岡に泊まればいいって」と言われ、「お酒、飲めるでしょ」 と誘いを受ける(爆)

実はお父さん、警察官で、鶴岡には単身赴任中。
一晩寝てないのにこのテンション!!

鶴岡で降ろしてもらい別れたのに、駅構内まで来てくれ、「どうだった、電車大丈夫か。」って・・・
涙出そうになる。

お父さんとお酒を飲むのも、すごく魅力的だったが、早く帰ることが大事と、煩悩を消し去る。

鶴岡には新潟から電車来るけど新潟までには行かないことが判明、しかし、もう少し南の駅(新潟よりのあつみ温泉という駅)から1本新潟に出ると教えられ、
ここからタクシーであつみ温泉に。

「特急いなほ」にぎりぎり間にあい、新潟に。

ここから先は、当日中の電車が無く、駅前ビジネスホテルに宿泊。翌日、朝一の特急に乗車、昼に金沢に戻る。

なぜ、山形に向かったか?

仙台からの南下は太平洋沿いになるから危険というのも頭にあったが、

「山形にはひのえうまんさんと○○くんが居る」と連絡を取るわけでもないのに、変な安心感があり、山形に行けば 何とかなるという感覚があった。

正直、山形駅を目指したものの、そこから先の経路は「新潟に行く鉄道くらいあるだろう」くらいの頭しか無く、 最悪、山形空港から飛行機で大阪って考えていただけであった。

車中、村山の親切な警察官のお父さんの親切で、鶴岡まで移動できたのが、本当に奇跡である。

さらに羽越線が復旧した事も・・・。

最後の画像は、新潟のビジネスホテルに着いた後、夕食を食べたお店。
安くて、とても美味しかった\(^_^)/

(2011年3月12日)

B級グルメ

 
Nikon COOLPIX 5600


ケンミンショーのコーナーに、若い夫婦が各地を転勤してその土地を紹介するコーナーがある。

2週にわたって石川県がテーマということで、注目していた。
職場でもまぁまぁ話題に上がり、どこが紹介されるか、何が紹介されるかで盛り上がった。

で、紹介されるかもしれないと言っていたものの中に、『第七ギョーザ』というのがある。
名物は『ホワイト』と言われるしろもの。

類似のものが色々な土地にあるのだが、これが番組で紹介されなかったら、食べに行こうと、実習学生と 話していた。

で、めでたくというか、残念ながら紹介されなかったので、皆で出かける。

この中に、東北福祉大の子がおり、心配したが、無事を確認できた。良かった〜(^o^)

(2011年3月4日)

審査会

Nikon COOLPIX 5600


いつもの様に、ほぼ月1の介護認定審査会である。

今回のメンバー、大変であった。
リーダーとなるべき「先生」呼ばれる職種の方が、介護保険を理解していない。
その対象者に必要な介護で考えるべきなのだが、この先生、「この疾患なら、こんな介護はいらない」と、 疾患名で全てを片付けようとする。

そして、事務方の市の職員の方も今ひとつ。
これまで、この方より若い方ばかりであったが、皆さん勉強熱心で、かの先生のような方には、 丁寧に法律や介護保険の概念を説明してくれていたのに、今年の方は何もおっしゃらない。
加えて、書類の読み込みも甘い。

そんな苦痛の1年であったが、もう一人のメンバーに助けられ、何とか1年を過ぎることができた。

いや〜、参りました。もう少し、勉強して欲しいと痛切に感じた1年であった。

(2011年3月7日)


Nikon COOLPIX 5600


ステップワゴンくん、見事、13万キロを走破である。

いつもくるま購入時は、10万キロ・10年乗ることを目標に、なんだかんだで、7万キロ前後が 多かった。

う〜ん、13年13万キロである。

一つに、サッカー、野球の送り迎えに、非常に重宝しているからである。

そんな子ども達も、送り迎えの必要な小学校を卒業。

次は、自転車通学をしている間は、とりあえず、積み込んで来れる、ステップワゴンくんに、もうひとがんばり してもらわねば・・・

(2011年3月9日)

同窓会

 
PENTAX Optio E50


同窓会である。

1年に1回、大学院の同期と集って早や、7年ほどになるんだろうか。

結構、長く続いている。

今回は、お料理旅館という触れ込みのお宿。

その様に名乗る事にふさわしい、美味しい料理であった。

(2011年2月26日)


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