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CAMEDIA C-3040Z
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「気まま新聞 第74号」に引き続き、USA出張の続き。
画像はロッキー山脈である。
中学校の頃地理の授業で習ったあの山脈に来ることになるとは思いもよらなかった。
そんな話をしていたら、誰かが
「太陽にほえろのロッキーが死んだ所じゃないっすか?」と言っていた・・・
(これで、年がばれちゃいますよ。)
そして、誰が雪男・女なのかわからないが、現地でも年に2〜3回という大雪の日に当たってしまう。 右は早朝の一瞬の晴れ間に写した画像であるが、この後、猛吹雪となる。
(2003年2月27日)
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CAMEDIA C-3040Z
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そんな、コロラド州・ボルダーを後にして、出張後半のカリフォルニア州へ移動する。 画像は、その移動の機中から見る「ロッキー山脈」である。ちょうど、山脈の上を沿うように飛行ルートが あるようで、その雄大な景色を楽しむ。
(2003年2月28日)
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CAMEDIA C-3040Z
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カリフォルニア州・サンフランシスコに到着しそこから「ナパ」という町へ移動する。 ここはカリフォルニアワインの有名な(らしい・・・)産地。
昨日までの天気がうそのような好天となる。(ちなみに、ボルダーの方も
我々が離れると同時に好天となり、
町の雪はすっかり溶けたとのことである・・・)
この日は日曜日で、移動日とあわせ、郊外のアウトレット店でお買い物などを楽しむ。
画像は、そのアウトレットのモール内での(恐らく・・・)桜。満開!!
海外旅行=免税店と思われがちであるが、パリなどと違い、町の中そこたら中に免税店があるわけでもない。 私?もちろん、妻に何やらブランド品のカバンなどを購入。(これで一安心・・・)
(2003年3月2日)
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CAMEDIA C-3040Z
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最終日は、唯一の終日自由行動日。 場所もサンフランシスコに移動し、観光を楽しむ。
有名な坂道とそこを走るケーブルカー。
そして、「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」。
(2003年2月26日)
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CAMEDIA C-3040Z
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さて、今回の出張であるが、ここまでの話だと、まるで遊びに行っているように思われかねないので、少し、補足。
今回の私の業務は、勤務する専門学校の学生研修旅行の引率である。普通は旅行会社などが仕切るものだが、なぜか、
教員2名と事務職員1名での引率。それで17名の学生の引率はなかなか、怖いものがあった。
2枚目の画像に写る方が、現地の日本人コーディネーターでマラソンのシモン選手のプロモーター兼トレーナーを務める。 途中、体調を崩す学生もいたものの、大きな事故も無く日本に戻れてよかった・・・
(2003年3月6日)
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CAMEDIA C-3040Z
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サンフランシスコ空港のテレホンコーナー。
車椅子の方でも使いやすいように、高さを変えてあったり(ここの場所では無いが)、車椅子の入るスペースがあったり、
ちょっとした台が取り付けられているのは、目新しくなくなってきたが、今回注目したのは、右側の画像のものである。
受話器を専用の台に置き、キーボードに文字を入力すると、機械が打ち込んだワードを読み上げてくれるものらしい。 電話を誰もが使えるよう、各種取り揃えるあたりが、アメリカらしい・・・
(2003年2月26日)
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CAMEDIA C-3040Z
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今の職場に移って、3度目の海外出張。こんな人生を歩む予定ではなかったのだが・・・
今回、初めてPCを持参した。セキュリティー強化もあり、各空港でセキュリティーの度にPCを取り出し、検査を受けた。
メール・チェックもできたし、Webの更新もしたし、まずまず、色々試せて良かった。
さらに、今までは海外旅行には銀塩カメラを使用してきたが、今回初めて、デジカメ(CAMEDIA C-3040Z)を使用。充電池の
管理などが面倒であったが、フィルム代わりにバッテリーという言葉をどこかで目にし、「なるほど」と思い、実行。 今回、室内でフラッシュ使用に制限があると予測し、レンズの明るいCAMEDIA C-3040Zをチョイスしたが、この 選択は成功で、室内での画像も綺麗に撮れており満足・・・満足。
(2003年3月6日)
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Kodak DC3800
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ずいぶん前の印象があるが、アメリカへの出発前の休日の息子たちである。 工作好きに加え、愛視聴番組「伊東家の食卓」で何回か前に、ペットボトルなどを使ってお風呂で遊ぶネタがあったが、 それも相まって、「工作」→「お風呂で遊ぶ」という図式が出来上がったようだ。
(2003年2月23日)
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Kodak DC3800
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アメリカ帰国翌日は、何回か気まま新聞でも触れてきたように、母校の閉校式が行われ、その式典・パーティ出席のため、 新潟県・上越市に向かう。
一番、おもしろい20歳代前後を、全寮制という形で過ごしながら送った母校が、とうとう閉校である。
何人かの方がお話で触れていたが、「これを機会に一層団結して、同窓会を心のより所に・・・」というコメントが
切ない気持ちにさせてくれた・・・
母校が人里離れたどちらかという僻地である、この地に開校が決まったとき、地域の人たちが大変喜びそして心配し
(こんな場所で若者が大丈夫かという心配だったらしい・・・)
運動器具を寄付してくれたそうである。
初期の頃の先輩が自分たちでグランドやテニスコートを作ったという話は在学中にも聞かなかった話で、感動した。
改めて、母校のよさの実感と寂しさを味わった。 ちなみに、3枚目の画像は最近の卒業生のアトラクション。(こういう芸達者が多かったな・・・)
(2003年3月7日)
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